2012年12月8日土曜日

ワーキングホリデーで飯綱町にりんごの収穫に行ってきた。

長野県飯綱町で、ワーキングホリデーでりんごの収穫が出来るということだったので、
予約をしてりんごの収穫体験に行ってきた。


役場の方とは、アップルミュージアムに隣接した役場庁舎の駐車で待ち合わせ。そこから車でお世話になるりんご農家へと移動する。車で約10分くらいだろうか。民家が立ち並ぶ細い道を登って行くと、りんご農園にぶつかった。ちょうど収穫で忙しいとのことで、農園で挨拶をさせていただくことに。


ヘタを指で押さえてひねるようにりんごを穫るように教わる。脚立とカゴを使ってくださいね、とお願いされ収穫を始める。脚立は、軽量化のためか足の踏み場が片側にしかないもので、片側はつっかえ棒のように利用する。つっかえ棒を斜面の上に向けて使わないと倒れるので気をつけてとのこと。

りんごの木はそれほど、大きくはないんだけど、いざ脚立に登ってりんごを穫るとなるとすごく高い場所になっていることに気付かされる。教わったようにヘタを押さえて穫るのは難しくない。高いところになっていると脚立から落ちそうで、難度が上がる。りんごを落としてもいいが、人間が落ちないように無理をしないでね、と農家の方に言われる。怪我をしたら更に迷惑をかけてしまうので安全に気をつけて収穫を続けた。
ちょうど、3時頃に一服しようと休憩に誘われお茶をいただく。りんごとおやきとシフォンケーキまでいただく。向こうの山の天気が怪しいからそろそろ終わりにしましょうと言われ、休憩後帰途に着いた。

翌日、お土産にいただいたりんごをいただいた。穫れたてだからか、蜜がぎっしりでとても美味しい。種類はサンフジ。


2012年9月9日日曜日

日常での炭火焼き生活に憧れて炭火焼きコンロを買った。

日常生活で炭火を使うことを、夢として抱いている人も少なくない気がする。
でもなかなか都会では使えないなと思っていたんだけど、小さめの炭火コンロに出会った。
写真のコンロ本体と網、コルク、トングと炭がセットになっている。


炭を入れる五徳を、本体の上に置く構造になっていて、本体の底には水をはって使う。
小さな七輪だと炭をおこしにくそうだけど、そこも考慮されていて、
炭を入れる五徳に穴が空いているため、ガスコンロに置くとちょうど火が炭にあたるようになっている。
慣れてくると5分くらいで、火をおこすことができるかな。


炭を入れたところを上から撮るとこんな感じ。
小さいので炭は少しで十分。


コプチャン(小腸)と鶏肉を焼いたところ。
これくらいしか乗らないけど、二人で食べるには十分。
コプチャンは煙がすごいので、部屋が真っ白になる。


ベーコンとアサリなら煙はほとんど出ないので安心。


秋刀魚も煙がすごいけど、焼き肉などと違って換気扇の下で焼けばなんとかなる。
一番味の違いが出たのがこの秋刀魚だった。
下に落ちた脂の煙が皮に味をつけるのか、いつものグリルで焼いたものと違った。

わざわざ炭をおこさなきゃいけないので、
買うときは何回も使うか不安だったけど、購入から2ヶ月で3回使用なら十分な稼働率。
さらにこれから寒くなるのでもっと使う機会も増えるのではないかな。

2012年6月24日日曜日

Twitterの気圧ボットを作ったよ。

気圧ボットを作って欲しいとお願いされたので、作った。

@kiatsu_bot

最初は気圧をつぶやいて意味があるのかわからなかったんだけど、
気圧と気分や体調に関連がある、という話を聞いて興味が湧いたので作ってみた。


つぶやく内容は以下の内容。

気象庁から当日の朝7時の東京の気圧と湿度を取得して、8時につぶやく。
前日と比較して、それぞれの差も入れてる。

他にも気温とかの情報もいれて欲しいということだけど、まずはこちらでリリース。
一周間の気圧の変動を線グラフで見れたりするといいかなと思ったり。

動作環境は、Google App Engine。
言語はPython。
制作時間は6時間くらい。休日の午前中2回で作成。
ほんとにつぶやくだけの実装でフォロー返しとかなし。

これで、過去日発売CDボット朝のリレーボットに続き、3つ目のボット。

2012年5月27日日曜日

ラオスフェスティバルに行ってきた。

先々週のタイフェスティバルに続き、代々木公園で行われていたラオスフェスティバルに行ってきた。

今回で3回目とのことで、タイフェスに比べると規模はかなり小さい。
先日のタイフェスは混み過ぎだったので、これぐらいの規模がちょうどいいのかもしれない。

昨日も「スチャダラ全力投球!」で飲み過ぎて体調万全ではないけど、
ラオスビール、BeerLaoで乾杯。

つまみに、ラオスの腸詰、サイワを購入。
肉以外にも何か入ってるのか、柔らかくてとても美味しい。
結局また後で何本か購入。

※2012/5/27追記 サイワの中に入っているのは春雨とのこと。

会場の雰囲気はこんな感じ。陸橋の上から撮影。
ドネルケバブの車が中心にあることがわかるかと思うが、純粋なラオス料理屋さんが少ない。
ブース案内によると全体の飲食ブースとして26店あるけど、ラオス料理屋さんは5店舗くらいしかないのかな。
詳しい人によると、普段はラオス料理と謳うよりもタイ料理としておいたほうがお客さんの入りがよいので、敢えてタイ料理にしているお店もあるらしい。

写真左下に写ってるように飲食スペースがあるのが嬉しい。
シートで囲われた席で、連れてきていただいたタイ料理屋のみなさんと前日飲み過ぎたことも忘れてかなり飲む。

帰りにドリアンアイスを食べる。
これがドリアンをよく再現できていてとても旨い。

2012年4月29日日曜日

三度目のタイのソンクラーン

タイのソンクラーンのお祭りを観るため、成田にあるワットパクナム日本別院に行ってきました。
昨年は東日本大震災のため行けませんでしたが、開催されていいたのかどうか、それどころではなかったですね。
3年前に行ったときの模様はこちら。3年前も下の写真とまったく同じ構図で撮ってました。

知り合いのタイ料理屋さんのママに連れられて、今回も無料のご飯をいただきました。
今回は、ママもお店からカオマンガイを持ってきて、無料でふるまっていました。
いつも無料でいただいていることに疑問を持つ瞬間でした。

3年前にも料理の写真は載せたので今回はいろいろなお店の様子を。

こちらでは、キャベツときゅうりの"箸休め"セットを配ってました。ご存知の通り、タイ料理は辛い食べ物が多いので箸休めが必須です。ソムタムの露天もあるのですが、あくまでソムタムだけでキャベツやきゅうり、もち米など、辛さをやわらげるものは別だったりします。そんなときこのセットはとても助かりました。今回いただいたソムタムはしょっぱめでとても辛く、タイに詳しい人曰く南のソムタムだとのことでした。

こちらが辛いソムタム。青パパイヤのサラダです。

こちらでは、内蔵のスープを配っていました。フワ(肺)が入っていて、柔らかくて美味しかったです。
初めて食べたタイ料理でした。

こちらが出来上がった内蔵スープ。


このサワガニがソムタムの中に入ります。
後ろに少しだけ映っている木のすり鉢に青パパイヤとサワガニなどをいれて、木の棒でガシガシとつぶしつつ混ぜるような感じなのかな。

どうもソムタム関連の話題が続いて思ったのですが、ソムタムはかなりタイ料理の中心にいる気がします。

コーラをいただきました。
これならタイ料理屋さんじゃなくてもお店が出せます。

ビニール袋に飲み物を入れるのはタイでは普通なのですが、
今回のようにあまり移動しない祭りなどでは、紙コップのほうが準備が楽そうだなと思いました。
1パック作るのにけっこうな工程がありそうです。
まずビニールに液体を入れるのが難しそう。さらにそれに輪ゴムをつけて吊るさなきゃいけないので。
でも、このスタイルがタイらしくて、紙コップじゃものたりないのかもしれない。

ワットパクナムの裏にある駐車場には露天も出ていて、こちらでは青パパイヤや筍など野菜なども買えます。
こちらは有料です。
下の写真は、タガメ。3個で200円なので1個70円なので、結構高い。

帰りは成田さくらの山公園で飛行機を見ながら、お花見をして帰りました。

2012年3月31日土曜日

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を読んで

少し前に仕事の谷間で四連休になったときがあった。休みの前までは仕事が忙しかったのでなかなかまとまった休みが取れていなくて久しぶりにゆっくり休めるという予定だった。一日目、二日目は寒さのせいもあって家で本を読んだり、映画を見たりして過ごしていた。だが、三日目あたりからどこかに出かけたいなという気持ちが芽生えてくる。天気予報を見ると明日は雨みたいだけれど、かねてから行ってみたかった三崎口に行ってみることにしよう。

そんな気持ちで行った三崎口は、辛かった。バスで終点の城ヶ島で降りると、ほとんどの商店にはシャッターがおり、降りつける雨に外を歩く人は誰もいない。この結果はわかっていたはずなんだけど、天気の良い別の日に延ばす選択は出来なかった。たぶん、三崎口に行かず家でじっとしていたら、雨の辛さとは別の辛さ、退屈という辛さを味わっただろう。だからあの日はどちらもバッドエンドのはずだ。

『暇と退屈の倫理学』では、ハイデッガーによって分類された3つの退屈を確認していく。あの日、三崎口に行かなかったときに家で感じる退屈さが、第1形式の退屈に当たるだろう。時間はあるけど、やりたいことができなくて退屈している、暇で、退屈している状態だ。三崎口に行ったときには、まだ『暇と退屈の倫理学』を読んでいなかった。家にいたら、この第1形式の退屈に襲われると経験的に察知して、雨の中、気晴らしに三崎口に向かった。
もしも向かった先で退屈を感じていたら、それが第2形式の退屈になっただろう。雨で辛かったけれども、おかげで退屈する暇もなかった。いや、暇がなくて退屈しているというのが第2形式の退屈なので、暇がないのは退屈しない理由にならないか。大きな視点で見れば、三崎口に行くこと自体が暇つぶしなのだ。この第2形式の退屈は、暇と気晴らしがからみあっている。例としてあげられていたパーティーの退屈は似たような経験がある気がする。パーティーはとても賑やかで楽しかった、でも退屈していたという例だ。丁寧に準備された暇つぶしをしているのだけれど、退屈してしまう。

最後の3つめの退屈は「なんとなく退屈だ」の一言で定義される。これはもう、三崎口に行った行かないの問題ではない。

四連休の最初の一日目、二日目、三日目は家で本を読んだり、映画を見たりしていた。宇野常寛・濱野智史著『希望論』を読んで、ベン・アフレックの『ザ・タウン』と黒澤清の『ドッペルゲンガー』を見ている。まだまだ読む本も録り貯めている映画があるんだから、四日目の雨の中無理をして出かけたりせずに、家で映画を見ていたほうが良いのはわかる。でももう本にも映画にも退屈しているんだ。本を読むのに飽きて、どこかに出かけたくなってしまっている。
今の(映画や本を見たりする)環境に飽きてしまって、他の(どこかに出かける)環境に移りたくなる。それを「1つの環世界にはひたっていられない」と表現している。1つの環世界にひたっていられないから退屈するというわけだ。

3つの退屈の形式を定義したハイデッガーは、環世界を認めていないようだ。環世界は人間以外の動物が感覚する世界で、人間は自由だから環世界は関係ない、と。そのハイデッガーの第3形式の退屈への対処方法は、決断。その問題点も『暇と退屈の倫理学』で指摘している。
四連休の中で、同じことをずっと続けていると、どうしても飽きてしまうから他のことをする。飽きてしまうのだけども、映画を見ているとき、本を読んでいるとき、三崎口に行っているときのそれぞれでは退屈していない。なんだかこう書くとものすごく当たり前のことを言ってるように思えるけど、これで間違いない。興味のあることに、とりさらわれるのを、待ち構えている。

2012年3月11日日曜日

『気流の鳴る音』を読んで


カルロス・カスタネダがヤキ族のドン・ファンから学んだ話を解説する形で進んでいく話なのだけれども、荒木飛呂彦の『スティール・ボール・ラン』と関連する点が多いなと感じながら読み進めた。ヤキ族の考え方から学ぶという形で、4つの敵として描かれる「恐怖」、「明晰」、「力」、「老い」を克服してゆく考え方が丁寧に描かれている。共感するところが多くて、ぼんやりと考えていたことをすっきり整理できそうだったので、考えがてらまとめてみた。

明晰

「明晰」さという概念はすんなりとは敵とは考えにくい。一度世界をとらえた「明晰」さから手を離すことで得ることが出来るのが本当の〈明晰〉さで、一度手を離さなければならないという点で「明晰」さは敵になる。きっと、こういうことだろう。初めてのカードゲームをやるときはルールを学びつつ、ゲームに勝てる方法を獲得していく。最初の「明晰」さを獲得する。ゲームの回数を重ねていくうちに別の規則に気づき、今までの方法に新たな方法を追加・削除して今まで方法を更新して新しい方法を獲得する。既存の「明晰」さを捨てて、新しい「明晰」さを獲得する。「明晰」であることは楽で、既存の「明晰」さを疑いつづけることは疲れるだろうけど、常に疑い続けることが〈明晰〉さなのかなと思う。ドン・ファンの言う、〈トナール〉が「明晰」に対応して、〈ナワール〉が〈明晰〉に対応しているかな。

力と老い

〈明晰〉であろうとすると、いずれの「明晰」も選べなくなってしまう状況が発生してしまう。この発生してしまうことこそが、敵としての「力」だ。そして、たぶん〈コントロールされた愚かさ〉と表現されているものがこの問題を解決してくれるもので、愚かだとわかっていてもいずれかの「明晰」さあえてを選択しなくてはならないということになるのだと思う。
敵としての「老い」の意味はそのまま。老いの克服は、〈心のある道〉を進むことだ。〈心のある道〉を進んでいれば、最後につくところに何もなくても納得することが出来る。いや、到着点ではなく、道の途中こそが目的となるといったところかな。

なんかまとめたらすっきりした。やっぱり『スティール・ボール・ラン』の随所に関連する点がある気がする。ちょっと読みなおしてみよ。

2012年1月9日月曜日

六郷どんど焼きを観てきた。

六郷に住んで4年ほど経つが、見たことがなかった『六郷どんど焼き』を見に行く。場所は、京急六郷土手駅からすぐの河川敷。六郷図書館からすぐのところだ。


会場では多くの人が列を成しているが、どんど焼きに角松などを置くために並んでいるのではなく、配られているおしるこをもらうためだった。温かいおしるこ、甘酒が配られていて、寒い体を温められる。


太田区長の挨拶のあと、点火式が行われた。火が付けられるとあっというまに燃え上がる。


火の粉が舞って周りに燃え移らないように放水してる。盛大に燃やしたいけど、周りは燃えては困るという点が可視化されてていい。


火の勢いが落ち着いてくると、子供たちは芋などを竹の棒の先に紐でぶら下げて、火の中に投入する。この棒のセットは持参なのか子供だと町内会の人たちからもらえるのかわからなかった。これで焼き芋などにするようだ。


すぐ隣では、六郷とんび凧もあげてる。本物のトンビも来て賑やか。


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